合理的な愚か者の好奇心

団塊おじさんの "見たぞ! 読んだぞ! 歩いたぞ!"

洲崎パラダイス

前回、旧赤線地帯の「鳩の街通り商店街」を取り上げましたところ、予想外に大きな反響を戴きました。とりわけ、酢豆腐さんからはあふれる教養の一端を惜しげもなく披瀝して頂き、怒濤のコメント5連発を頂戴いたしました。ここに、伏して心から感謝申し上げます。酢豆腐さんのコメントをまだお読みでない読者の方は、是非先週の記事「鳩の街通り商店街」の記事の一番下コメント欄をクリックして頂くことを心からお薦めいたします。

なにしろ、私の記事よりはるかにおもしろい内容豊富な充実したコメントになっております。とりわけ、旧色町がなぜ全国的に鳩と連想されるのかという命題については、極めて興味深い学術的な議論が展開されております。

さて、その酢豆腐さんから「吉原、品川、新宿、千住、板橋というような江戸期以来の遊び場とは異なり、こちらはいわば新開地。昔の農道をそのまま街路にしたため、道は狭く、曲がりくねっております。(中略)ここの特長は、何と言っても安いことでしょう。当時、お金のない、若い労働者やサラリーマンが遊べるところといえば、ここ「玉の井」か「州崎パラダイス」くらいしかなかったんですから」と指摘されて、さすがに鈍い私も卒然と気がつきました。

玉の井とか鳩の街とかそんなに遠くに行くまでもなく、我が下町には「洲崎パラダイス」という全国に鳴り響いた色町があるではありませんか!私が夜、酩酊して帰る時は、タクシーに乗る場合があります。そんな時私は「運転手さん!い~い、この道まっすぐ行ってね、洲崎の交差点を左に曲がったらすぐだから、そこで起こして!」などと言って後は運転手さん任せという事が多いのです。そのまさに、「洲崎の交差点」こそが、洲崎パラダイスの入口だったということが、今回改めて調べてみて判明したのです。我が家のマンションの前には、南北方向に大門通りと称される道路がありますが、この道路を我が家から南に徒歩わずか15分で、もうそこはかつての洲崎パラダイスの入口に当たる洲崎橋に到着してしまうのです。

ちなみに、この大門通りの名前の由来は、洲崎パラダイスの大門と、吉原大門をつなぐ道だからだと伝えられております。

私が初めて洲崎パラダイスに注目したのは、昭和47年熊井啓監督の名作「忍ぶ川(主演:加藤剛栗原小巻)」を見た時だったと思います。小巻演じるヒロイン志乃は、この洲崎パラダイス界隈で生まれ育った薄幸の女性であり、洲崎から木場のなつかしい風景がふんだんに見れます。

2車線の大門通りが、洲崎橋から南では6車線に広がり、この道路の東西両側に洲崎パラダイスが広がっていたと伝えられておりますが、この東陽1丁目一帯を一時間半ほどかけてつぶさに歩き回りまして、当時の遊郭とおぼしき面影を残していると思われる建物を東側にやっと3軒だけ発見することが出来ました。

前回の鳩の街では、道路が狭くじめじめした裏町という風情でしたが、洲崎の場合は予想に反して、メインストリートの大門通りが6車線もあることをはじめ、遊郭が並んでいたと思われる通りもかなり広く、鳩の街とは雰囲気が著しく異なり、開放的でカラッとした感じがします。では、次にその3軒を順番にご紹介します。

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1軒目は、1階部分が八百屋さんで、2階部分のバルコニーや丸屋根、原色の柱にかつての遊郭の名残を感じさせます。しかし、老朽化がかなり激しいのが心配です。

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2軒目は、最も保存が良く、壁にかつての名遊郭「大賀」の文字がしっかりと残っております。しかし、1階が日本共産党の区議の事務所になっているのが何とも不思議です。

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最後が、色タイルの壁と原色の柱、バルコニーと小さな窓など最も当時の遊郭建築の特徴を伝えていると思われる建物です。どうやら、現在は一般の市井の人の住居のようで、表に咲き始めた桜が印象的です。

以上3軒、大賀楼の保存状態は相当良さそうでしたが、他の2軒はあと5年持つかどうか?

ブログ「安野智彦の東京いかないとこ百景」によりますと、最盛期には現在6車線の大門通りも人で埋め尽くされたと言われております。

今は甘酸っぱいなつかしさと郷愁、情緒すら伺わせるものがありますが、実際は、そんなきれい事ではなく、女性を食い物にするやくざのヒモ、当時の質の悪い覚醒剤ヒロポン中毒、蔓延する性病、しつこいポン引き等々、貧困がもたらした不快で悲惨な人間模様が展開されていたに違いありません。

一方、洲崎パラダイス西側の西洲崎橋をわたった門前仲町界隈は、かつて材木商のお大尽が豪遊した、辰巳芸者で有名な三業地が連担しており、洲崎から門前仲町の一帯は、どの所得階層でもどこかで遊べる公平な総合歓楽地帯だったのかもしれません。(そう言えば、この地の町名は現在東陽1丁目ですが、私の小学生時代まで残っていた旧町名は、「洲崎弁天町」と申します。いい名前だったよなぁ~。弁天ですよ!弁天!なんでなくしちゃったんだよ、江東区役所!)

さてさて、小ぎれいでのっぺらぼうな新興住宅地にお住まいの諸嬢諸兄の皆様!

我が愛する下町の我がマンションは、東側の窓からは洲崎パラダイスに歩いて15分で到達する大門通りがとおり、西側の窓からは現在大好評公演中の騎馬オペラジンガロ木場公園特設会場の大テントが見えます。

何と文化的な環境でありましょうや!しみじみ下町に住む幸福を感じますねぇ~・・・