合理的な愚か者の好奇心

団塊おじさんの "見たぞ! 読んだぞ! 歩いたぞ!"

記憶の不思議

50歳を過ぎて以来、最近はとりわけ、記憶力が弱まっていることに愕然とする。
例えば、昨日何を食べたか思い出せないことはもとより、何回も会っている人の名前が出てこない。ひどい時は、同じ人に同じ事をあまり間隔を開けずに二度話すなどという恥ずかしいことさえ起きてしまう。
私としては、記憶力だけは人並みであるはずというささやかな自信らしきものだけをよすがに、人生をやっとの思いで乗り切ってきただけに、そうした能力に疑念が生じることは、自らのレーゾンデートルを揺さぶる不安に容易につながってしまうのであります。

このブログでも紹介している、池谷祐二と糸井重里の対談集「海馬(脳は疲れない)」(朝日出版社によれば、脳はいくら酷使しても疲労しないらしい。そして何よりも、加齢により記憶力が減退するというのは、ほとんど間違いであり、年をとり経験を重ねると、若い時に比べて記憶の引き出しが著しく多くなるため関連する記憶の引き出しを検索するのに、時間がかかるだけなのだそうです。若い時は、記憶の引き出しが少ないため、すぐ記憶にたどり着けるだけなのだそうであります。
これはこれで合理的な推論であり、記憶力の落ちた私やご同輩達をホッとさせるものがあるのですが、反面、やはりシナプスニューロンがぶち切れているのかもと正直思わせる部分もある。まぁ、いわばそんな内面の葛藤をしていた矢先に、まさにその記憶に関して、私にとって非常に不思議な事件が相次いで発生した。

ひとつは、例によって休日の散歩中に、江東区常盤1丁目の八名川公園(写真参照)に偶然通りかかった時に発生した。
s-DSC00653 発生したと言っても、私の頭の中の問題なのですが、今から43年ぐらい前の私がまだ中学一年の時のこの公園での記憶が、まるで映画の1シーンのように、言葉のディテールまで、何の脈略もなく突然よみがえったのであります。
中学1年の私は、その時、公園に隣接する八名川小学校出身の同級生に連れられて、初めてこの公園にやってきて野球をやっていたのであります。この公園に来たのはこの時の一回だけで、その後この公園に私は来ていないのです。
よみがえってきたのは、近くでキャッチボールをしていた仲の良かったK君との会話です。K君が私に近寄ってきて、「おい、田代みどり好きか?今週の週刊平凡見たか?あいつ、相当遊んでいるらしいぞ。」と話しかけます。今考えると、中一にしてはずいぶんませた会話です。
これに対して私の返答です。「田代みどりは、好きな果物がメロンとバナナだと言っていた。そんな高い果物を好きな金持ちなんか嫌いだ。」
理解を容易にするために、少し解説しますと、田代みどりとは当時(昭和37年頃)大人気であったアイドル歌手(ヒット曲は「パイナップルプリンセス」。ニューブリードのバンドマスターである三原綱木の嫁さん。)。バナナは今はタダみたいな果物ですが、当時はメロン同様高価だったんです。
K君とキャッチボールをしながらのこんな具体的な会話だけが、この公園を通りかかった途端に、何の脈略もないピンポイントの記憶としてドドーンと43年ぶりによみがえったのであります。私は、八名川公園に佇みながら、鳥肌が立つほど不思議な思いをしました。

類似の不思議なケースをもう一つ挙げます。
高校の同期会でのことです。高校時代、ダジャレの名人でほぼ一日中シャレを連発していたT君と40年ぶりで会いました。最初は、当時と少し雰囲気が違っていたので、あれ?誰だったっけ?という感じでしたが、すぐにT君と判明すると、これもまたドドーンと突然当時の会話の記憶が襲ってきました(正確に表現すると「襲う」という感じなんです)。
これも、今から40年前のある日ある時の会話です。前後の脈絡は全く不明です。
私「T君、シャレがうまいね。プロになれるね。」
T君「そうかい?じゃ、謝礼くれよ!」
これって、糸井重里の「海馬」によれば、じっと脳の引き出しの奥にしまわれていたはずのあまりに詳細な会話の記憶なんですが、こんなことがありうるのでありましょうや? だってこの引き出しは、40年間一度も開けなかった引き出しなんですよね・・・