合理的な愚か者の好奇心

団塊おじさんの "見たぞ! 読んだぞ! 歩いたぞ!"

議論の作法

私たち団塊おじさん達はみんな、学生時代に多かれ少なかれ学園闘争の影響を受けている世代です。
最低でも1年以上に及ぶ全国学園闘争の影響につきましては、人それぞれに異なることは当然でありますが、私の場合は、何しろ大学にやっと入学できてホッとしてからわずか3ヵ月後にはもう無期限ストライキに突入してしまったわけですから、よりによって最も影響を受けやすいナイーブな精神形成期に遭遇してしまったわけです。
その結果、意識すると否とにかかわらず己の人格形成に数多くの影響を受けたと思われますが、間違いなくその中のひとつと思われるのが、「議論(またの名をディベート)」の作法についてのこだわりです。

「入学後すぐに無期限ストライキに突入してしまう」ということは、「入学後すぐに何もやることがなくなってしまう」ということを意味します。
もちろん、クラブ活動や麻雀に没頭するなど、うまい具合に熱中する対象を要領よく探し当てた友人もたくさんおりましたが、半数以上の級友は、まるでフリーズしてしまったかのごとく、茫然自失の状態になってしまったわけでありまして、その中の一人が当時弱冠18才の私だったというわけです。

しばらくして気を取り直したわがクラスは、何と大それたことに「自主講座」と称して、授業に代わる暇つぶしを企画し始めました。その講座の中の講師のひとりには、「読んだぞ!リスト」でご紹介した「磁力と重力の発見」の著者山本義隆氏も含まれております。

しかし、今振り返ってみて、当時私にとって最も楽しかったことを正直に申せば、惜しみなくふんだんに時間を費やして行われる「クラス討論」と呼ばれる議論でした。
テーマは無限です。
「そもそも学生がストライキをするとは、無意味ではないのか?(タコが自分の足を食っているようなもの・・・・)」というウブなものから、「投石は有効な戦術か?(場合によっては死ぬぞ!)」「毛沢東の矛盾論は?(薄くて読みやすい本だったんです)」等々・・・・
議論の時間も無限です。朝でもOK。(どうせこの時期は、皆さん、生活は恐ろしく不規則でした。)
こうした時間無制限のバトルロイヤル的状況の中で、ディベートを有利に展開させる原始的テクニックのようなものが、おぼろげにわかったような気がしました。

そのひとつです。
ディベートにおいては、主導権を握ることがとりわけ有利な立場を作り重要なんですが、主導権を握る最も容易なテクニックは、質問(とりわけ相手の用いる用語の定義についての質問)の連発が最も効果的となります。
「君の言っている民主主義という言葉は、どういう意味で使っているのか?」とか、「ならば聞くが、君が使う市場という言葉には、どういう種類の市場までを考えているのか?」とかいう質問を連発して相手に余裕を与えないのです。答える方の議論の相手方には、一応回答する義務らしきものが発生し、ディベートでは一瞬、受身の立場に立たざるを得ません。特に、回答に詰まってしまえば、議論の展開は圧倒的に相手有利の状態に追い込まれてしまうのです。
しかし、相手の使う用語については、最低限の質問は許されますが、度を越した質問はやってはならないことです。議論している二人が、お互いに相手の用語について延々と質問しあっている状況を想像すれば、滑稽ですよね。

第二のテクニックは、そもそもの議論の枠組み自体を問題にすることです。
これも例を挙げたほうがわかりやすいのですが、たとえば、「あなたの論点は非常に限定されたものでしかない。なぜあなたは歴史に学ぼうとしないのか?歴史ではより広い視野で考えないと誤った結論になることを教えている。」などとニヒルに言って、広範な視野からの議論を提起して、ディベートのターゲットを誘導しようとするテクニックです。
これは本来ディベートを主導するべき最も正攻法のテクニックでありまして、このテクニックの最も卓越した使い手は、「朝まで生テレビ」でおなじみの姜尚中東大教授ですね。おまけに姜尚中は、声が低くてよく通るということもあって、どんなに議論が大声で怒鳴りあって紛糾していても、彼が話し出すとピタリと静まってしまうのはご承知のとおりです。
しかし、これもやり過ぎは相手に失礼です。このテクニックを使って、やたらめったら議論の土俵を広げようとすると、議論の相手方に対してきわめて失礼なやり方でタブーとすべきでしょう。
このタイプの典型例が私の学生時代にひとりおりました。彼はわがクラスでは「ミスター矮小」とあだ名されておりました。
彼は、議論していると決まって議論の一番大事な局面で、「矮小!矮小!」とそれまでの議論で積み上げた土俵を一方的にぶっこわすような無謀な発言を大声で繰り返すのです。
風のうわさでは、今はどこかの大学で大学教授をしているそうですが、本当に不愉快な方でした。

いずれにしましても、今回のディベートのテクニックは、あくまでテクニック以上のものではありませんし、以下でもありません。使いすぎはタブーですし、何よりも議論の相手方に失礼です。
12人の優しい日本人たち」の映評にも書かせてもらいましたが、「ディベートは、決して予定調和的に正しい結論に行き着くものではありません。戦略もあり、感情もあり、そして何よりもテクニックが必要な権謀術数の舞台なのです。」
みんなでルールを守ってディベートを楽しみましょう!!