合理的な愚か者の好奇心

団塊おじさんの "見たぞ! 読んだぞ! 歩いたぞ!"

少年野球の昔と今

今日も例によって「ノスタル爺」シリーズです。
私の小中学生時代に近所の悪童たちみんなが夢中になっていた遊びをひとつ挙げるとすれば、それは文句なしに「野球」でしょう。
ご町内の子供たちだけで、少年野球チーム「平野1丁目ビクトリー」を組織し、毎週日曜日には、朝の4時に起きて、日没でボールが見えなくなるまで夢中でボールを追っかけていたものです。
私は息子の世代でも地域の少年野球チームに関わった経験によりまして、今と昔の少年野球をかなり正確に比較することができるのです。

Sdsc00039 ということで、今回は「昔」、すなわち昭和30年代頃の少年野球と、「今」の少年野球の違いについて語りたいと思います。
実は、昔と今の少年野球には、予想以上に驚くべき違いがあり、この相違をしっかりと見つめることにより、現代の教育の問題点が何がしか自然に浮かび上がってくるような気がするのです。

1. 親の参加
最も鮮明な違いは、親が監督またはコーチとして、あるいは観客として参加するか否かです。
昔は監督・コーチはもとより、子供の野球を日曜日にわざわざ観戦しに来る物好きな親など一人もいませんでした。我々の親にはそんな余裕なんて微塵もなかったのです。
子供の遊びに関心がなかったとも言えるかもしれません。子供の遊びは、子ども自身が遊びたいように遊ぶもので、親が顔を出したり、教えたりすることなど、全く完璧にありえない非常識なことだったのです。
したがって、我々子供たちにしてみれば、自分たちで公園の場所取りをし(だから4時起きだったのです)、自分たちで教えあい(だからみんなゴロの取り方が長嶋と同じになってしまうのです)、自分たちで守備と打順を決めるのです(だからみんなが4番でピッチャーになりたがったのです)。
今の少年野球では、少なく数えても5人以上のお父さんたちがずらっと並んで、鬼コーチとなり、それぞれ大声で口々にやれ「グローブが逆だ!」とかやれ「腰が高い!」とか、箸の上げ下ろしに至るまで、懇切丁寧な指導を競ってしてくれます。
大違いですね。

2.人数
今は全員がきれいなユニフォームを着て、ベンチの補欠を入れて15人くらいでチームを組みます。
昔は、ユニフォームはなし、それぞれが思い思いの服装で人数については、9人揃うことはまれでした。
人数によっては、自分たちでルールを変えてしまいます。外野を一人減らして二人とするのは朝飯前として、キャッチャーは攻撃側がやることとしたり(この場合は、当然盗塁はなし)、二塁手をカットしたりします。
著しく人数が不足する場合は、ダイヤモンドを狭くして二塁ベースを撤去することにより三角ベースとしたのは、ご承知のとおりです。

3.ヤジ
昔のヤジの技術は相当なものでした。
ヤジだけで相手投手のストライクが全く入らなくなった場合もあります。ヤジのおかげで三振することも珍しいことではありませんでしたし、十分許された行為だったんです。
「弱いチームは頭で勝つ」と言えば、「ヤジで勝つ」ことを意味しました。ヤジが辛らつでうまい選手は、野球がうまいことと同程度の仲間の尊敬を集めていました。
それが今は・・・・
私がある少年野球の試合を応援に出かけた時のエピソードです。
私「ピッチャー!ノーコン!ノーコン!」(「ノーコン」とはノーコントロールの略で、相手投手から四球を取るための最も基本的なヤジ)
このヤジを私が発した途端に、驚いたことにコーチが飛んできて、私は注意されてしまったのです。
コーチ「すいません!ヤジは禁止されているのでやめて下さい!お願いします!」
と言われてしまったのです。
ヤジが禁止されている野球って、一体野球と呼べるのでしょうか?

4.場所取り
今は大人の監督・コーチが抽選で区営球場などを予約して確保してくれます。
昔は、朝4時起きで、子供たちが自分で場所を取っていたことは、既に書いたとおりです。

以上、考えついただけでも、今の少年野球は、同じ「少年野球」というカテゴリーには入りえないと思うほど、私の子供時代とは全く違ってきてしまっています。

皆さんは、「昔と今」とどちらの時代で野球をやりたいと思われるでしょうか?
聞くまでもないでしょうね。
そして、全く同じ遺伝子を持つ一人の少年が、どちらの野球をするかで、全く違う大人に育つであろう事に思い至る時、慄然とするのは私だけでありましょうや・・・・・