合理的な愚か者の好奇心

団塊おじさんの "見たぞ! 読んだぞ! 歩いたぞ!"

浅草ウラ観光案内:浅草神社

Sdsc00252今回の浅草ウラ観光案内は、今(5/19現在)三社祭で沸く浅草神社です。
「なんだ、浅草神社では表の観光案内じゃないか?」とご不満の向きもあろうかと思いますが、あわてめさるな。(しかし、最近のおみこしは女性が沢山担いでいるんですねぇ!びっくりしました。それともこれは最近の三社祭の特徴なんでありましょうか?)

小沢昭一大先生がかつて郡司正勝氏(歌舞伎研究家・評論家)との対談でこう語っておりました。
「浅草の三社様(浅草神社)の境内に久保田万太郎先生の句碑と並んで、吉原の粧(よそおい)太夫の献碑があります。吉原を賞賛するためにあえて言うのだが、万太郎先生の方は独特のクチャクチャした小さい字でよく読めない。太夫はすごい達筆で大変な教養の持ち主であることがうかがい知れます。」

最初は三社祭の喧騒もあってなかなか見つかりませんでしたが、灯台下暗し、神社に入ってすぐ右に問題の吉原の粧太夫の献碑を見つけました。
Sdsc00247 この写真がその献碑です。
「ほのぼのと明石の浦の朝霧に島かくれゆく船をしぞ思う」有名な柿本人麻呂の和歌を万葉仮名で刻んだもの。
太夫は当時の錦絵にも描かれており、書は中井敬義に学び、和歌もたしなむ教養ある女性で、江戸時代の代表的な文人亀田鵬斎から号を贈られたほどの人物。
この歌碑は、人麻呂を慕う太夫が1816年献納したものだそうです。
郡司正勝氏によれば、昔の遊郭には「太夫の手鏡」というものがあって、地方の遊客が帰るとき、その「太夫の手鏡」に花魁が一筆書いて土産に贈ったといいます。したがって、花魁は一流の書家に書を習っていたのです。
当時の太夫は、書・和歌はもとより、将棋・碁に至るまで勉強して大名の相手も出来るほどの教養を身につけていなければ勤まらなかったようです。

さて、一方、私の尊敬する高校の大先輩である久保田万太郎氏の句碑はどうしても見つからないのです。何度も申しますが、私は三社祭の喧騒と雑踏の中を汗だくで探しましたが、どうしても見つかりません。
Sdsc00249 かわりに、太夫の献碑の近くに見つけたのは、ご覧の川口松太郎書の句碑でした。
「生きるということむずかしき夜寒かな」と読めます。
ひょっとすると、 これが小沢昭一氏言うところの「よく読めない独特のクチャクチャした小さい字」であるような気がしてきました。
小沢さん!間違えたんじゃないのぉ!
独特のクチャクチャした小さい字って久保田万太郎先輩ではなくて、川口松太郎さんじゃないのぉ?
万太郎と松太郎と取り違えたような気がするなぁ!

まっ、いいか・・・

ところで話は変わりますが、三社祭をお楽しみの皆さん!
かわいい女性のお神輿をかつぐ姿にばかり見とれていないで、是非見ていただきたいものがあります。
普段は介護老人とおぼしき立っているのがやっとの地元浅草の老人が、決死の覚悟で祭半纏を着込み、神輿が巡行する街角に微動だもせず凝然とたたずみ、そのいよいよ弱まっていく生命エネルギーの全てを集中させて祭を見ている鬼気迫る姿です。神々しいですよ!お祭って本当にすごいものなんだなと感動させられます!
そして、下町浅草の底力をしっかりと思い知らされます。
何よりも浅草の少年少女たちへの教育効果は如何ばかりなものでありましょうや!是非教育再生会議の諸先生にも見ていただきたいと思います。