合理的な愚か者の好奇心

団塊おじさんの "見たぞ! 読んだぞ! 歩いたぞ!"

昭和五年の浅草六区

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まず上の写真をご覧ください。
昭和五年の浅草六区の状況です。
左が「電気館」と思われますので、花やしき方向から雷門通り方向を見ていることになります。
非常に興味深い写真です。

現在両国の江戸東京博物館では、「浅草今昔展」を好評開催中です。
ご覧の写真はこの「浅草今昔展」の一環として、常設展示場に現在展示されています。

写真が撮られた時間ですが、大変な混雑ですので、おそらく日曜日の午後と思われます。
昭和五年ということは、既に大恐慌は来ています。翌年は満州事変のはずです。そうした時代背景のわりには、浅草は思いっきりにぎわっていますね。人々の様子も、時代の暗さを感じさせないほどに活き活きしていますね。

ところで、私の言いたいことは実はそうした通り一遍のことではもちろんありません。
もう一度、みなさんこの写真をよ~く見つめてください。
少なくとも私は不思議だと感じたことがふたつあります。それを言いたいのです。

Sdsc00371 まず、第一は、女性と子供が異常に少ないのです。
これが、昭和三十年代の浅草だと、我が家がそうであったように、親子連れだらけであるはずです。
そして、現在ただ今の浅草の六区に行ってみてください。おそらく七割は女性、それも複数のおばさん達がやったら多いんです。
一方、昭和五年はご覧のように男だらけだったんですねぇ。興味深いです。
おそらく、当時の男達には、男女で盛り場に遊ぶという風習があまりなかったのでしょう。まして、子供を連れた家庭サービスなんぞ、常識にない行為だったんでしょうね。
すっごくおもしろいことだと思います。

さて、第二の不思議な事実。
その男達の一人一人を見てみると・・・・
み~んな帽子をかぶっているんです
野球帽ではありません ! 中折れ帽というのでしょうか、鳥打ち帽というのでしょうか、立派な紳士用の帽子です。
当時の男性諸君は、帽子がアイデンティティであり、おしゃれのポイントであったようです。
いやはや、興味深いです。
二枚目の写真の左下は今もこのとおりの姿である「花やしき」、下の真ん中の掘っ建て小屋風の建物は、おそらく現在の初音小路に名残を残す煮込み屋さんたちではないでしょうか・・・・