合理的な愚か者の好奇心

団塊おじさんの "見たぞ! 読んだぞ! 歩いたぞ!"

初恋の人と再会する歌

古来、日本のポップス・歌謡曲あまたある中で、恋の歌は星の数ほどあります。
それらの歌の類型もハッピーエンドから失恋まで、無数のバライティーがあります。
しかし、かつてつきあっていた初恋の人との不幸にして悲しい別離の後、数年または数十年後に再会する状況を描写した歌は、不思議なことについ最近までほとんど存在しておりませんでした。

この理由はおそらく二つ考えられます。
ひとつは、「昔つきあっていて再会する」という設定自体が、あまりにドラマチックなため、3分から4分で納めなければならない歌謡曲の制約の限界を超えるものであること、
もうひとつは、消費者自身にあまりニーズがなかったのでありましょう。
しかし、我々団塊の世代が今まさにシニアの入り口にさしかかって、はるけく過去の青春を振り返る時、シニアとして口ずさむべき歌の設定としてこの「昔つきあっていて再会する」という状況は、きわめてロマンチックなものとして再評価されてきていると思います。

ということで、今回は「昔つきあっていた恋人たちが再会する歌」として、とりあえず4曲を分析したいと思います。

1曲目は、この設定を事実上わが国で初めて取り上げたと言っても過言ではない草分けの曲を紹介します。原曲はシャンソンです。
わが国シャンソン界の大御所金子由香利の事実上の出世作「再会」です。
松尾和子の歌とは全然違いますよ。作詞はPatriciaCarli & EmilDamitrov、訳詩は矢田部道一。
[E:note]あら! ボンジュール 久しぶりね その後 お変わりなくて 
 あれから どれくらいかしら あなたは 元気そうね 私は変わったでしょう?
あれから旅をしたわ いろんな国を見てきたの 少しは 大人になったわ
 あら 私って おしゃべりね 引き止めてごめんなさい
 あんまり 懐かしくて 声を掛けたのよ・・・・ [E:note]

きわめて淡々とした偶然の出会いです。しかし、この出会いの時、男は奥さんと一緒です。
この奥さんを遠目で見ながら、この女性は
[E:note]あの方 奥さんでしょ?  とても素敵な人ね
 私に少し 似ているわ 私をどう思うかしら[E:note]

と歌われるように、むき出しの敵愾心を示す自信家の女性なのです。
この歌を全盛期の金子由香利は、ほとんど語るように歌います。もろに自分と遠くにいる元カレの奥さんとを比較対照して自信を見せる気の強さが、かえって女心の悲しさを際立たせるという効果を出しています。

「再会」はまるで何事もなかったかのように偶然の再会後、「じゃ、またね」とあっさりと別れていくのであろうのに対して、2曲目はドロドロの再会を歌います。
歌も作詞・作曲も全部庄野真代の「アデュー」です。
[E:note]あの日 待ち続けてたの ほんとよ しずむ夕陽の中
 まさか同じこの街で あなたと 出会うなんて 不思議ね
 若くはないわ もう昔のように 心が揺れても きっと飛び込めはしない
 そうよ 違う人生を夢見た 二人だから哀しい[E:note]

庄野真代のヒット曲で有名なものは、何と言っても「飛んでイスタンブール」や「モンテカルロで乾杯」ですが、そうした大ヒット曲と伍してこの「アデュー」もカラオケで長く歌い続けられているスタンダード曲です。
ただし、そのカラオケに妙齢(微妙な年齢の意)の女性も参加している場合、「若くはないわ もう昔のように 心が揺れても きっと飛び込めはしない」のさびの部分で、異様な緊張感がその場を支配しますのでお気をつけ下さい。
この歌の場合、男女共に既婚者でしょう。女性は道を踏み外す寸前です。男性は決断できません、そういう状況のようです。ラストで庄野真代は畳み掛けます。
[E:note]若くはないわ でも昔のように 抱きしめられたら すべてを捨てた きっと・・・[E:note]
おっとっと、せつない歌ですねぇ・・・

3曲目は、世代を超えて女性陣に圧倒的な支持を得ているヒットメーカー、山下達郎の嫁さんでもある竹内まりやの作詞・作曲・歌の大ヒット曲「駅」です。
この歌の歌詞の表現力は抜群のものがあります。さびを引用します。
[E:note]二年の時が 変えたものは 彼のまなざしと 私のこの髪
 それぞれに待つ人のもとへ 戻ってゆくのね 気づきもせずに
 ひとつ隣の車両に乗り うつむく横顔 見ていたら
 思わず涙 あふれてきそう 今になってあなたの気持ち 初めてわかるの
 痛いほど 私だけ 愛してたことも[E:note]

いやぁ~、名曲です。何度聞いても涙が出てきます。とりわけ  
[E:note]今になってあなたの気持ち 初めてわかるの 痛いほど 私だけ 愛してたことも[E:note]
の部分は「そうだろっ[E:sign03]そうだろっ[E:sign03]ねっ、わかった[E:sign02]」と言ってはいけないんでしょうね。
この曲の設定は、男女共に既婚者と思われます。しかし、ほんの2年前には二人は付き合っていたようです。たった2年でこのような関係になるというのは、ちょっと考えられませんが、10年後でも30年後でもこの設定は当然有効です。むしろ、時間が経過するほどこの設定の切なさは何倍にもなるものだということは、竹内まりや自身も気がついていないと思われます。
金子由香利の描く女性は、平生を装いながら気軽に挨拶したのに対して、竹内まりやは声をかけられず帰宅する男性の後ろ姿を黙って見送る女性としています。この差は時代の差なのか、作詞家のちがいによるものなのか、興味は尽きません。
しかし、誰にでも遭遇しうる日常の中での永遠の青春の一場面を鮮烈に切り取ったこの曲は、私の知らない間に女性陣の中では世代を問わず不動の名曲となっているようです。

もう1曲は、最近のヒット曲ですが、長くなりましたので、回を分けて書きます。