合理的な愚か者の好奇心

団塊おじさんの "見たぞ! 読んだぞ! 歩いたぞ!"

昭和33年の後楽園の売り子

Uriko

あなたが東京ドームにナイターを見に行ったとして、ビールが飲みたくなったと仮定してください。東京ドームのネット裏には、頻繁にまるでAKBみたいなかわいい売り子が「ビール如何ですか~」とそれぞれが可憐な声を張り上げながら通り過ぎます。ビールは背中にしょったリュックの中にあるらしく、少し大ぶりの紙コップに圧搾ガスで押し出すかのごとく、シューッと泡を上手に作りながらそそがれます。値段は千円くらいだったかなぁ? ホットパンツのかわいこちゃん込みですので、あまりexpensiveとも思えません。たくさんいるので、時々、プレーを見る邪魔になりますが、ニコッとほほえまれると文句も言えません。
見渡したところ、売り子全員がかわいこちゃんで男は一人もいないようです。
という至福の光景をながめながらいつのまにか、私ははるか55年前、昭和33年の後楽園球場の内野席にタイムスリップしてしまいました。
その日は、普段家庭サービスなど考えたこともない私の父親が、どういう風の吹き回しか、小学校3年生の生意気盛りの私を初めて野球に連れてきた日だったのです。
たしか日曜日のデイゲームで、毎週お昼からの連続テレビドラマダイマル・ラケットの「びっくり捕物帳」を見終わってからゆっくり家を出ても、午後2時開始のデイゲームには悠々と席を確保できたいい時代でした。我が家は貧しかったので、ネット裏というわけにはいかず、「紅梅キョラメル」の大きな広告のついた照明のそばの内野席に陣取りました。
初めてボールパークプロ野球を観戦する小学3年生にとって、興奮のほどはいかばかりであったであろうかと察っせられます。この時生意気盛りの私が最も心を奪われたのは、プロのすばらしいプレーでもなく、野球場の美しさでもなく、観客席のあちこちから発せられるドスのきいた「やじ」でした。特に、相手チームのチョンボなプレーにタイミングを合わせた痛烈なやじは、私に「尊敬すべき大人の粋」を感じさせました。
この時以来、私は野球見物に行くときは、子供ながらに常にタイムリーな痛烈なヤジを考えながら観戦する癖がついてしまいました。当時は、今の東京ドームとは大きく異なり、内野席は静かで、観客のヤジは内野席全体はもとより、選手にも聞こえるほどでした。このため、この時代には東映フライヤーズ三塁手山本八郎が、観客のヤジに激高して観客席に殴りこむという事件も起きております。
ということで、私が今回書き留めておきたいのは、そういうことではありませんで、恐縮ながら話を元に戻させてもらいまして、昭和33年の後楽園球場内野席のビールの売り子についてなのです。
生意気盛りで、大人に負けないヤジを言いたくてウズウズしている私の目の前に徘徊する売り子たちは、みなさん今と違って重いビンビールやコーラビンを抱えている屈強な男たちでした。彼らは注文されると紙コップにビンからビールをついでいました。
この屈強な男たちのうちの一人に私の目が留まりました。その男はいつも我が家の前を通り過ぎる近所のお兄さんでした。たしか安田学園の野球部に所属していていつも往来でバットを振っているお兄さんだったのです。その高校生もわが親子に気が付き、近寄ってきて「やあ、やあ」ということになりました。そして、きわめて自然に私にはコーラを、父親にはビールをただでごちそうしてくれたのです。タイムスリップしてのこの光景が、その時くっきりと私の目の前に現れました。
おそらく、現代のかわいこちゃん売り子の中に近所のお嬢さんがいたとしても、おそらくおたがいにわからないと思いますし、仮にわかったとしても、そのかわいこちゃんは、近所のおっさんとその息子にビールをごちそうすることなど、100%ございますまい。
この55年間の時の移り変わりの中で、我々は何を失い、そして何を得たのか、あらためて思わず考え込まずにいられない春の宵でした。