合理的な愚か者の好奇心

団塊おじさんの "見たぞ! 読んだぞ! 歩いたぞ!"

新たなるグレートジャーニー(がんばれ関野)

人生も50歳代半ばを迎え、定年まで指呼の間となると、私のようないかに鈍感な神経の持ち主でも、「こんな人生でよかったのかな?」などと、我が身の来し方行く末について、様々に煩悶するものなのであります。

私の場合、そうした煩悶の過程で必ず頭の中に登場するひとりの男がいます。高校時代の同級生で関野吉晴という名の男であります。

私達の高校の名前は、前にも書きましたが、当時は全国でも指折りの進学校でありまして、毎月の定例実力試験の結果の席次を毎回巻紙にして廊下に張り出すなど、過酷な学習環境を生徒に課すことで有名な「都立両国高校」でありまして、我々生徒達はその名をもじって「牢獄高校」とも称しておりました。

まるで夢のない飯場のような勉強漬けの生活を強制されながらも、不思議なことに学生達自身は、あっけらかんとして明るく自由な雰囲気が横溢しておりました。

これはあるいは、芥川龍之介に始まって久保田万太郎堀辰雄立原正秋などから、現代の半村良石田衣良に至るまで、陸続と日本の文壇に人材を輩出し続けてきた伝統が、作り出すものだったのかもしれません。

こうした伝統のもたらすatmosphereが何らかの作用を及ぼすものなのか、この高校の卒業生達は、どういうわけか「普通に進学し、普通に就職し、普通に家庭を持ち、普通に退職する」というコースを軽蔑する傾向が強く、多くの級友達が「どこか普通でない」はずした人生を送りがちなのであります。

それは例えば、エリートである法学部進学コースに入学しながら食えるかどうかわからない哲学専攻コースに変更したり、銀行に就職しながら公務員になるなどささやかなはずし方をする者もおりますし、一方では安定したNHKのアナウンサーを辞めて一か八か民放に鞍替えして「目覚ましテレビ」の司会をやるなど度胸のある者もおります。

しかし、そうしたほとんどの「ささやかに普通じゃない」級友達が、等しくひれ伏して憧憬する対象が、関野吉晴なのであります。

彼は、一橋大学に理論的な限界である8年間在籍しましたが、この間に冒険部を創設しました。在学中に、この冒険部の活動として、アマゾン源流域を探検して、インカ帝国マチュピチュ遺跡を発見して、朝日新聞の一面に掲載されるという画期的な戦果をまずあげました。

その後、便りを暫く聞かないと思っていたら、今度は横浜市立大学の医学部に進学して医師の資格を取得するという意表をつく行動に出ました。これで「なるほど、関野も人の子よの~、ついに地道な人生を歩む気になったのか」と級友達に思わせましたが、これがフェイントでとんでもない見当違いであったことがすぐに判明します。

すなわち、彼は未開の地の原住民と長期間一緒に暮らしていくためには、手に職を身につけなければならないことに気がつき、手に職と言えば、先進国から未開の地まで、世界中で共通の最も確実な職業であるところの医者を志したというわけだったのであります。

そして、南半球南端から人類が誕生した東アフリカまで、人力を頼りに踏破するいわゆる「グレートジャーニー」を8年以上かけて達成しました。

このグレートジャーニーについては、ドキュメンタリー番組として、フジテレビで年2回1回2時間のペースの特別番組として放送されましたので、ご覧になった方も多いと思いますが、この番組を見ながら我々が大変驚かされたことがひとつあります。それは、彼の輝くような若さなんです。高校生の時の彼は、どちらかというと風采の上がらないタイプでおじん臭く、とらえどころのない茫洋とした風貌でありましたが、今テレビで見る彼は、30代と言ってもおかしくないような若々しい風貌で、活力に満ちています。

やはり、人生、好きなことに打ち込んでいると、年を取らないという格好の例が、彼なのであります。

その関野吉晴君が、今度は日本をゴールとして、「グレートジャーニー・ジャパン+海のグレートジャーニー」と名付けた新たな旅に、7月、出発したとの報道がありました。

日本人の祖先がたどったと考えられるルートを前回と同様、自転車や徒歩、カヤックなど近代動力に頼らないスタイルで移動しながら、起源を探るそうであります。

そして、還暦を迎える5年後までに全行程を終える予定だと伝えられております。。

ここまで来ると、明らかに関野吉晴はもはや単なる「普通じゃない冒険家」という我々が押し込めやすい人間類型のカテゴリーを踏み越え始めていることに、気がつかされます。

そうなんです。彼は明らかに、我々団塊の世代のおじさん達に向けて、明確なメッセージを発信しているんです。

かつて、両国高校の廊下に張り出された定期試験の順位が書かれた巻紙の前で、2人で肩を並べながら、声を合わせて「まいったな~!」とため息をつき合った関野と私でありますが、約40年の時を経て、体を張って発する同じ関野のメッセージを、40年前と同じ素直な気持ちで、しっかりと受け止められる私であり続けなければならないと、自戒する今日この頃の私なのであります。

関野~ッ!! がんばれよ~!!