合理的な愚か者の好奇心

団塊おじさんの "見たぞ! 読んだぞ! 歩いたぞ!"

渋谷川はどこを流れる?

2005.7.2「31年ぶりに砂の器を見て」に対して頂戴したコメントで、とっぱさんや酢豆腐さんから厳しいご指摘を受けましたように、渋谷区には、昭和40年の住居表示変更までは「穏田」という地名が、歴然と存在しておりました。今の神宮前のあたりで、原宿村に隣接していたようです。
これも酢豆腐さんからご懇篤なご指摘を戴いておりますように、葛飾北斎の「富嶽三十六景」には「穏田の水車」という版画があります。ご紹介したリンクをたどってこの版画を是非見て頂きたいのですが、江戸時代の穏田は、村の中央を流れる渋谷川に水車が架けられ、のどかな田園地帯であったことがうかがわれます。北斎の版画で見る限り、かなり豊かな流量だったようです。
ということで、今回は、渋谷川に注目してみます。

まず、現在の渋谷川の位置について確認したいと思います。
今、私たちが現実に流れる渋谷川を実際に見ることができるのは、渋谷駅の南、稲荷橋の下流に限られてしまいます。明治通りと山手線に挟まれた狭い場所を流量も少なく、チョロチョロと流れているに過ぎません。

一方、渋谷駅から北側は、その存在が外からは確認できません。
どうやら、渋谷駅の北側(すなわち上流)の渋谷川は、全てが暗渠であるようです。暗渠であるからには、その流れる位置は、あくまで想像するしかないのですが、どうやら東急インの裏、ションベン横町あたりに始まって、宮下公園沿いを遡り、ウネウネと覆蓋された緑道公園をさらに遡り、北へ北へと進んで・・・
渋谷駅から延々暗渠の下を長距離流れ続けるこの薄幸の渋谷川は、原宿の周辺で昔の穏田村を通り過ぎ、最後は水源とされる地域で止まります。さてさて皆さん、この水源は、一体どこだと思いますか?
何と何と!! 新宿御苑の中らしいのです! これが渋谷川のまず最初のサプライズです。(注:この部分は「渋谷川・古川」を参照しました。)

渋谷川関連のおもしろサプライズ情報をさらに二つご紹介します。

ひとつは、渋谷駅から上流は暗渠、下流は稲荷橋から南を辛うじてチロチロ流れる渋谷川は、そもそもその真ん中の渋谷駅の部分ではどこを流れているのか?という問題です。
s-DSC00667 これが、なんと!現在、渋谷駅と一体化して建っている東急百貨店東横店・・・ 東館、西館、南館と分かれるその東横店のうち、最初(昭和8年)に建てられた東館の地下を通っているのだそうです。
このため、なんと!東横店東館だけは、地下階がないのです!
そう言えば、そうだったですよネ!東館は、渋谷川をふさぎまたぐ形で建てられているのです。
(注:この部分は「東京発展裏話#5川の上に建てたデパート」を参照しました。)

s-DSC00670 次に、明治時代の渋谷川を写生した絵(柴田富陽:作)をご覧下さい。いずれも、今の渋谷駅周辺に相当する場所を描いたものです。
この絵は、今は暗渠の下で全く見えなくなっている渋谷川を、現在のションベン横町あたりから宮下公園方向を望んだ景観であります。堂々たる水量であり、水車がいくつも架かって動いていたようです。

渋谷駅は、日本鉄道株式会社が開設した品川~赤羽間の品川線の開通に伴い、明治18年、誕生しました。
s-DSC00669 渋谷駅が開業しても、駅周辺には絵に描かれているように、しばらくのどかな風景が広がっていたようです。
駅のすぐ近くを流れる渋谷川に架かる宮益橋のたもと(現在の渋谷駅ガード下)には、この絵のように水車が回っていたようです。
渋谷駅の東側に当時あった公立渋谷第一小学校の維持費の一部にこの水車の利益金が活用されたと伝えられています。おもしろい話です。

なお、この公立渋谷第一小学校は現在の区立渋谷小学校でありまして、奇しくも私の母親の出身校でもあります。

注:この記事は、「白根記念渋谷区郷土博物館・文学館」における開館記念特別展「ハチ公のみた渋谷」展及び案内パンフを参考にしました。