合理的な愚か者の好奇心

団塊おじさんの "見たぞ! 読んだぞ! 歩いたぞ!"

もしも私が幕末のテロリストだったら・・・

インドのウパニシャド哲学では、人間の魂は死後、植物も含めたさまざまな他の生物に生まれ変わるとされています。そして、死後何に生まれ変わるかは、その人の生前の業(カルマ)によって決定されるそうです。
同様の輪廻説は、古代ギリシャピタゴラスプラトンも説いています。ついでに言いますと、あの麻原彰晃も言っているのはご承知の通りです。

ということで、今回は輪廻転生から話を始めます。
「そもそも自分の前世は何であろうか?」という命題は、誰しもが時間を惜しまず夢想するに値する興味深いテーマです。
なにしろ少し前の世代の先祖ですら、一体何をしていたか判然としない我々でありますから、まして我が身の前世など考えるよすがは全くありません。
せいぜいわが両親、わが祖父母に遡って、人品骨柄を子細に思い出してみますと、わが家系の出自は、武士とか貴族とかそのような気の利いたものではさらさらなく、地を這うようにして必死に生きていた水飲み百姓出身であろう事は、容易に確信できます。

そうしたアナロジーから、今この時点で自ら時代を遡り、わが前世の望ましい姿を創造してみると、次のようなイメージが浮かんできます。

すなわち、時代は江戸時代、それも幕末であります。
当然、生まれは水飲み百姓であります。何しろ今も連綿と伝わる目立ちたがり屋の遺伝子から、きっと絶望的な生まれにもかかわらず、死にものぐるいで抜け出そうとしていたでしょう。そのため、具体的に行動もしたでしょう。その行動は、現代であればガリ勉であるかも知れませんが、時は幕末、きっと超人的な剣術の訓練をこなし、武士になろうと夢見ていたでしょう。何しろ死を賭して猛稽古をしていますから、稽古で強いことはもとより、実戦ではもっと強い。
どこかで聞いたような話だと思ったら、まるであの天然理心流に燃えた近藤勇沖田総司達にダブります。近藤達はうまく時流に乗ってグループを形成し、運良く新選組という入れ物を獲得しました。私の場合は、なにしろ運がない遺伝子ですから、きっと独立独歩でどのグループにも属せず、最終的にはどこかの藩のお情けで抱えられ、今はやりの刺客、すなわちテロリストになったであろうと相当の確率で想像できます。
そうです、薩摩の桐野利秋、土佐の岡田以蔵、そして新選組斉藤一等々、寡黙で鋭い眼光、一瞬に仕留める殺人剣を武器に持ちながら、組織にうまく使われた末に、あえなく捨てられていったテロリスト達です。

彼ら幕末のテロリスト達の立場に立って考えてみますと、当時はテロのターゲットを指示されても、何しろ写真がほとんど普及していなかった時代のことですから、相手を特定することが最も困難でまた大切な仕事であったと思われます。
一方、自分の顔もほとんど知られていなかったわけですから、風のように仕事を実行した後、顔を見られないように速やかに現場を去らなければならなかったはずです。
そして、どんなに仕事がうまくいっても、有頂天になってはいられず、まして犯行声明などは絶対に出してはならないのであります。何しろ、誰もテロリストの顔をはっきりわかる者などいないからです。
当時は、仕返し・復讐がとても怖かったはずです。その結果、逆にやってもいないテロの恨みを受ける不幸な場合も出てきます。例えば、坂本竜馬暗殺の犯行を疑われた新選組局長近藤勇は、それを恨んだ土佐藩伊地知某により、最後は切腹も許されず、打ち首により板橋刑場の露と消えました。

こうしたテロリストの末路はさまざまです。岡田以蔵は捕らえられ、最後は狂いながら死んでいったと伝えられております。桐野利秋は、新政府の要職にありながら、西郷と行動を共にし、西南戦争で戦死しています。
saito そして、私の理想とするのは、寡黙なテロリスト、左利きで北辰一刀流居合いの達人、新選組三番隊隊長斉藤一です。彼は戊辰戦争を生き残り、その後警視庁に勤務した後、天寿を全うし、晩年は東京女子高師(現お茶の水女子大学)に勤務し、登下校する生徒のために人力車の交通整理をしながら「庶務係兼会計係」職員として精励したそうです。
おまけに、死後90年の現在においても、映画では佐藤浩市、TVではオダギリジョーと、極め付きの二枚目俳優が演じております。
彼は「人斬り斉藤」と恐れられ、おそらく数十人を斬殺したはずなんですが、彼の業(カルマ)はその後一体どうなってしまっているのでしょうか?

いずれにしても、私の前世としてはあまりにもかっこよすぎる事だけは、やっぱり確かなようです。