合理的な愚か者の好奇心

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前野曜子について

正月恒例のなつメロ番組をボーッと見ていましたところ、ペドロ&カプリシャスの「別れの朝」が偶然目に留まりました。ボーカルの声質が、ペドロ&カプリシャスの初代のボーカルであった前野曜子にかなり似ていましたので、ひょっとしてあの伝説の前野曜子(前野は昭和23年1月25日生まれなので今年で57才のはず)のおばさんになった姿か?と色めきたったのも束の間、歌っていたのは3代目のボーカル松平直子と判明。
すっかりがっかりしてしまいましたが、ついでに伝説のハスキーボイス前野曜子が、その後どうしているのか?調べてみることにしました。

maenoyouko そもそも前野曜子を有名にしたのは、ペドロ&カプリシャスの事実上のデビュー作、「別れの朝」。実は、前野曜子のペドロ&カプリシャスにおけるヒット曲は、この「別れの朝」1曲だけしかありません。
その後、2代目ボーカル高橋真梨子(デビュー時は高橋まり)が「五番街のマリーへ」「ジョニーへの伝言」と、ヒット曲を連発したので、「別れの朝」も高橋真梨子の曲だと勘違いされている方も、少なからずおられるようですが、違います。「別れの朝」は、伝説のディーバ前野曜子の曲であり、この曲を歌わせて彼女を超える歌手を私は知りません。今や押しも押されもしない大歌手高橋真梨子でさえ、この曲については、前野曜子には遠く及びません。

前野曜子は、昭和47年、ペドロ&カプリシャスとして「別れの朝」の大ヒットを出した絶頂期に、なぜ突然消えてしまったのでしょうか?
私の当時の記憶では、「素行不良?」といううわさがあったと思います。
しかし、今回調べてわかったのは、彼女が大変な酒好きで、いわば「大酒飲み」と形容されるべきタイプで、飲んだ翌日のステージに穴をあけることが重なったとされております。女性歌手には稀有の破滅型だったようであります。(うまくやれば、日本のビリー・ホリディになったような気もします。)

そもそも前野曜子の経歴を調べてみますと、生まれは銀座。宝塚歌劇団出身。昭和43年から約4年間、リッキー&960ポンドで亀淵由香とダブルボーカルで活動した後、昭和47年、ペドロ&カプリシャスに加入したようです。1年ほどでペドロ&カプリシャスを解雇同様でやめた後、単身渡米。
昭和49年、帰国。その後、マネージャーなしの一匹狼としてCMソングなどで活動。その年、松田優作角川映画「蘇る金狼」の主題歌を歌っています。

当時、私がびっくりしたのは、昭和52年、小椋佳がはじめて自分でプロデュースしたアルバム「渡良瀬逍遥」の中で、小椋佳作曲の「風船の愛」という曲を前野曜子がソロで歌っております。
このアルバムで小椋以外が歌っているのは、前野曜子と亀淵由香の二人だけですので、小椋佳が彼女の歌唱力を高く評価していたことを示していると思います。

しかし、前野曜子は、その後も酒好きがたたり、仕事から次第に遠ざかる結果となったようで、最終的には肝臓の病気で亡くなっています(没年は不明)。

改めて、ご冥福を祈ります。 
合掌・・・・・