つま恋と中津川
先般九月二十三日、静岡県掛川市のつま恋で「吉田拓郎&かぐや姫Concert in つま恋」と銘打った大野外コンサートが挙行され、団塊の世代を中心に大変な盛況だったらしい。
過去をさかのぼると、31年前の1975年9月、かぐや姫が拓郎の誘いを受けて最初のつま恋ライブを挙行し、六万人の大観衆を集めて以来の大変な盛り上がりという。
ご同慶の至りである。(なお、拓郎は、今回、残念ながら必殺の「人間なんて」は歌わなかったと報道されている。)
しかし、団塊世代まんまんなかの私から見ると、この31年前の大イベントの印象がなぜかはなはだ薄く、「伝説の」と冠称されることに大いなる違和感さえ感じる。
理由はふたつ。
ひとつは、’75のつま恋ライブはかぐや姫の解散後わずか半年のタイミングで無理やり再結成し、当時飛ぶ鳥を落とす勢いの拓郎とのジョイントという形式であり、開催理念があまりにも安直で、メジャー意識丸出しのあざとさが、私にとって本能的に嫌悪感を抱かせた要因だったのかもしれない。
もうひとつの理由は、当時もうひとつの大イベント「中津川フォークジャンボリー」の印象に圧倒されてしまったためと思われる。
中津川フォークジャンボリーとは、岐阜県中津川市花の湖の湖畔で、1969~71にかけて3回開催された日本初の野外フェスティバルのことである。
拓郎たちのメジャーなイメージに対抗する、マイナーまたはアブノーマル?なフォークシンガーや日本に生まれたばかりのロックシンガーと呼ばれ始めた人たち等、アンダーグラウンドやサブカルチャーを代表するミュージシャンたちが多数出演したわかりやすく言えば、「反体制的大フォークイベント」である。そして、4年後のつま恋の印象を薄くさせた理由として正鵠を射ているのは、たぶんこちらの方であろう。
その時の主な出演者をざっと拾ってみると、
赤い鳥・淺川マキ・五つの赤い風船・遠藤賢司・岡林信康・加川良・斉藤哲夫・杉田二郎・ソルティシュガー・高田渡・のこいのこ・はしだのりひこ・はっぴいえんど・六文銭・なぎら健壱・あがた森魚・五輪真弓・カルメンマキ・ガロ・三上寛・山本コータロー・吉田拓郎・友川かずき など錚々たるメンバーである。
参加者は、一番多かった’71でも2万5千人程度で、つま恋には及ばないが、その手作りの舞台の素朴さ(学芸会でも、もう少しマシと思わせる)と、夜の熱気のすさまじさそしてアウトロー的盛り上がりは、つま恋をはるかに凌駕しておりました。そして、団塊世代にとっての「中津川」の名は、今に至るまで反体制的なにおいとともに、正真正銘の「伝説」として轟きわたっているのであります。
最後に、中津川フォークジャンボリーのアウトロー的迫力とアンダーグラウンド的熱気を最も象徴的に表現し、当時社会に痛烈な一撃を与えた三上寛の「小便だらけの湖」の歌詞をご紹介して、当時のテイストを振り返るよすがとしたいと思う。
小便だらけの湖
詞・曲 三上寛
夕日を見ると さみしくなるから
星を見ると 涙が出るから
小便だらけの湖に
あなたと二人で 飛び込んで
うたう唄は さすらい色歌
踊るダンスは 盆踊り
だから だから
なんでもいいから ぶち壊せ
なんでもいいから さらけだせ