合理的な愚か者の好奇心

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秋元順子「愛のままで」への誤解

Sdsc00392 「愛のままで・・・」という題名の歌があります。
作詞・作曲は、花岡優平。歌うは、秋元順子
世間では「演歌」に分類しているようですが、私は「シャンソン」だと思います。

昨年、大晦日紅白歌合戦で、還暦の初出場六十一歳の秋元順子が、紅白歌合戦史上、最高齢の初出場歌手として歌って、話題となった歌です。

反響は予想以上に大きく、あけて正月以降、しばらくはシングルCD売上げランキングの首位を走り続け、今も上位に食い込む根強い人気が続いています。なお、61歳7ヶ月は、オリコンウィークリーのシングル最年長首位記録だそうであります。

秋元順子・・・。
これまでハワイアンからシャンソンカンツォーネ、民謡に至るまで、多彩な経験を持つプロ中のプロの歌手とお見受けしました。
私の調査では生まれも育ちも私と同じ江東区深川。私よりわずか一学年上でありますので、どこかで私と接近遭遇している可能性は相当高いと思われます。

紅白歌合戦では、六十一歳の年齢を全く感じさせない堂々たる歌いぶりで、すっかり感動させられてしまいました。
私の記憶に残る高齢女性歌手と申しますと、何と言っても1964年の紅白で五十七歳で「別れのブルース」を歌った淡谷のり子を真っ先に思い出します。
淡谷のり子は、自他共に認めるすばらしい音程と発声の不世出のブルース歌手ですが、五十七歳で紅白最後の彼女は、音程は揺れ高音は出ず、声もかすれて、痛々しかったことを私は知っています。

五十七歳の淡谷のり子と、六十一歳の秋元順子を比べてみますと、団塊世代の私たちは、かつての時代の高齢者とは、次元の違う地平を生きているらしいということを、つくづく納得させられます。

以上の事実をふまえた上で、私が今回主張したいのは、「愛のままで・・・」という歌を、NHKをはじめ多くのメディアがなんと熟年離婚防止ソング」または「熟年夫婦応援ソング」と命名し、あろうことか大まじめで幸福な熟年夫婦を讃える歌として紹介していることについてです。
私は大変な誤解だと思いますし、見当はずれだと断じたいのです。
あまつさえ、先日の「徹子の部屋(2/11)」では、秋元順子自身ですらこう言われることを是認し、喜んでいる始末なのです。

ではまず、この歌の実際の歌詞を検証してみましょう[E:sign03]

小鳥たちは 何を騒ぐの 甘い果実が欲しいのですか
誰かと比べる幸せなんて いらない
あなたの視線が愛しくあれば・・・・
あぁ この世に生まれ 巡り逢う奇跡
すべての偶然が あなたへとつづく
そう 生きてる限り ときめきをなげかけて
愛が愛のままで 終わるように・・・


以上です。
一体この歌詞のどこが「熟年離婚防止ソング」なのでありましょうか[E:sign02]
ちょっと読んでいただければ、賢明な読者であれば、とんだ勘違いだということが、すぐにご理解いただけると思います。
むしろ全く逆のことを表現していることに容易にお気づきになると思われます。
具体的な言葉に着目してみましょう。
誰かと比べる幸せなんて いらない」とか「すべての偶然が あなたへとつづく」なんですよ。全体のトーンが、はっきりと非日常的な究極の愛の世界を志向していることは、明白であります。さらに二番では、「糸引くような口吻しましょう」と禁断の肉欲を斬新な言葉で表現した後で、「あぁ 生きてる意味を求めたりしない」と今度はきわめて哲学的で、魅力的な殺し文句を持ち出しているのです。実に見事な詞です。
この歌詞の一体どこが「熟年夫婦応援ソング」なのでありましょうか[E:sign02]
むしろ、その対局にある世界を描いているのです。花岡優平という作詞家は、こうした意味で二番底・三番底の意味の逆転を用意して、世間には一見優等生の歌として化粧しきってしまう、手練れの罪深い作詞家とお見受けしました。

なんと表現したらいいのか、ちょっと言葉がないのですが、要するにわかりやすく言えば、この歌は、既婚か未婚かとか、年齢の上下、などをはるかに超越した「恋愛至上主義」の甘美な香りが色濃く感じられるのです。むしろ、それこそ誤解を恐れずにあえて言えば熟年離婚促進ソング」と呼ぶべきなんですよ[E:sign03]

そうした歌を臆することなく、六十一歳の新人女性歌手が、なんと天下の紅白で堂々と歌いきったという事実の重みに、私は二十一世紀の確かな未来をはっきりと見たような気がするのです。
要するに、賞賛しているんですよ[E:sign01]私は・・・・・