合理的な愚か者の好奇心

団塊おじさんの "見たぞ! 読んだぞ! 歩いたぞ!"

能とシェイクスピア

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能を見ました。2013都民芸術フェスティバル参加作品の「式能」です。
場所は、国立能楽堂。番組は、「翁」「高砂」「経政」、狂言は「福の神」と「蝸牛」。
私は「経政」の哀愁がたまりませんでしたね。
お客さんはほぼ満員。男女は半々、予想以上に妙齢の育ちの良さそうな女性が多かったような気がします。
私がちゃんとした能楽堂で能を鑑賞したのは、高校1年の古典の授業以来ということになりますから、貴重な鑑賞経験です。
当時、探究心旺盛な高校生の私が、能の関連の本を読んで勉強した結果、高校以来四十数年にわたって抱えている疑問がひとつあります。今でも覚えているその疑問は、日本の能とヨーロッパのシェイクスピア演劇の間の奇跡といっていいような驚くべき類似点についてなんです。
その第一は、(これは誰でもすぐ気が付くことですが)両者とも女性が出演しません。オフィーリアとか謡曲隅田川の狂女とか、みんな男性が代わりに演じます。したがって、両者ともせりふが少ないのが一般的です。
第二に、両者とも長い道のりを歩くことを表現するために、舞台を何周か円を描いて歩きます。両者ともかなり狭い円形劇場で上演するのが常ですので、こうした表現の仕方になるのでしょう。
第三は、両者とも簡略化された舞台の制約の中で、遠近感を表現するために、能舞台で言えば、松のフェイクは近い松ほど大きく遠い松は小さく配置されています。
他にもあるかもしれませんが、即座に思いつくのはこの程度でしょうか。
はたして偶然の一致なのか、それとも両者にはなんらかの関連があるのか否か?
数年前に、私は蛮勇を奮い起こして、我が国シェークスピア研究の第一人者、小田島雄志東京芸術劇場名誉館長に聞いてみたんですよね。
注目すべき回答は、はなはだにべもなく「偶然じゃないかなぁ」というもので、小生すっかり落ち込んでしまったのを思い出します。