合理的な愚か者の好奇心

団塊おじさんの "見たぞ! 読んだぞ! 歩いたぞ!"

富士山は怒っている

Sfuji

富士山が世界遺産に登録されることが、ほぼ確実となったようです。
ご同慶の至りと思っておりましたら、「時間厳守子」さんから、早速富士山になりきっての富士山の現在の気持ちのレポートが入手できましたので、下記に転載させていただきました。
題して「富士山は怒っている」です。

 いったいお前ら日本人は何を考えているのだ。
 
 おれ、富士山を何と思っているのだ。
 
 おれを世界遺産にして浮かれているようだが、利用されたおれは文句がある。
 
 お前たちは地域の振興になるとか言って、おれを商売のネタにしようとしているだけではないか。
 
 自然遺産にしようとしてそれが叶わぬとなり、文化遺産のほうに方針変更したそうだが、自然遺産となれなかったことをどう思っているのだ。
 
 「自然」でも「文化」でもどちらでもいいから世界遺産になればいいというその汚い根性はどこから出てくるのだ。
 
 おれを商売のネタにしようとしているだけで、おれをバカにしていることがありありとしているではないか。
 
 おれの「自然性」に対しても、おれの「文化性」に対しても、真の敬意が欠けているから、どちらでもいいなどという態度が生じてくるのだ。
 
 自然遺産から文化遺産への方針変更をした奴らが作戦成功と誉めそやされているようだが、そいつらが不敬罪の主犯だ。
 
 そもそもおれはおれだ。世界遺産などというレッテルは不要だ。レッテルなしでおれは富士山なのだ。
 
 世界遺産となったがゆえに見直されるなどというチャチなおれではない。
 
 お前らのずっと祖先、根性のまっすぐだったお前らの祖先は、自分たちの五感でおれを感じていた。
 
 他人に判断してくださいなどという卑屈はなかった。
 
 お前らの祖先とおれはすっきりと向かい合っていた。
 
 おれを売り飛ばしたお前らはおれと正面から向き合えまい。
 
 郷土愛とはカネになるから生ずる愛なのか。
 
 「日本人の心が世界に認められた」などと言っているが、世界に認められなかったら日本人の心を捨てるのか。
 
 おれに対して安易に信仰などということばを使うな。
 
 捨てるものなき信仰などを認める神はどこにもいないぞ。
 
 取れるだけ取ってやろうというような精神に信仰という言葉は使えないぞ。
 
 お前らは自分たちの信仰を本当に誇りに思っているのか。

 そもそも本当に信仰しているのか。

 日本人の信仰とはそんなものかと世界の物笑いだ。
 
 なんで日本人が物笑いになるきっかけにおれがならなければならないのか。
 
 おれは怒りで噴火しそうだ。