永代橋を登る(隅田川名橋シリーズ)
隅田川名橋シリーズ、今回は隅田川の橋の中で最も有名な永代橋に行ってきました。
なにしろ、6代目圓生十八番の落語に出てくるほど、江戸庶民に親しまれ、庶民の生活に重要な役割を果たした永代橋。
現在の橋は、大正15年(1926年)に架けられたもので、設計の参考にしたのは、ドイツのライン川に架かるレマーゲン鉄橋だそうです。橋の長さは185mの巨大橋です。
最初の永代橋は、元禄11年(1698年)に、5代将軍綱吉の50才を記念して、上野寛永寺の造営用木材を使用して作られたと言われます。完成当初から、江戸第一の大橋として有名だったようです。
前にも一度書きましたが、この永代橋は文化4年(1807年)8月、雨で数日順延された深川富岡八幡宮の祭礼の日に、押し寄せる人並みに堪えきれず、落橋して千人を超す死者・行方不明者を出すという大惨事を引き起こしています。この事件を題材として落語「永代橋」が出来たわけです。
さらに、赤穂四十七士が、めでたく本所松坂町の吉良邸討ち入りを成し遂げた帰りに、この永代橋をわたって、高輪泉岳寺に向けて行進したと言われております。
さて、いよいよ本題に入りまして、私の永代橋に関わる思い出です。
永代橋界隈は、当時私の通った明治小学校の学校区が一部含まれておりまして、友達とよく遊び回った大変懐かしい橋であります。
それ以上に懐かしく思い出されるのは、今を去る30数年前、私がまだ20歳代の初々しい若者だった頃の話です。
当時、まだ怖いもの知らずだった私は(ちなみに今の私は、怖いものだらけですが)、酒の勢いもあって、友人と2人で、深夜、永代橋を「登った」のであります。
「登った」と書くと、一見意味不明でありますが、要するに橋のアーチ部分の上を歩いたと言うことであります。
まだおわかりいただけない方のために、下記の写真を用意しました。おわかりいただけますでしょうか?
まるで登るための便宜を図るかのように、リベットのようなものが滑り止め然として打ち込まれているのであります。
高さはかれこれ20mもありますでしょうか?
もし、体のバランスを崩して落ちそうになったら、跳躍して隅田川に飛び込むつもりだったのですから、何をか言わんやであります。後日、昼間、改めて下から見上げてみると、仮に跳躍しても命はなかったと確信できました。
今でも、時折永代橋の下をタクシーなどで通りかかるたびに、今はもうない当時のかけがえのない我が若さを具体的な感覚として生き生きと思い出させてくれる貴重な経験であります。
しかし、よくやったよなぁ・・・