合理的な愚か者の好奇心

団塊おじさんの "見たぞ! 読んだぞ! 歩いたぞ!"

浅草の塔

asahisinbun42 はるか昔、私の学生時代の浅草にスペースタワー(宇宙塔)なる面妖なタワーが出現したことがあります。
下町っ子の私としては、一度上ってみなくてはと思っていたにもかかわらず、気がついたときには既に忽然と姿を消しておりました。あのスペースタワーなるものは、いったいどこにあって、どういう経緯をたどって消えてしまったのでありましょうか?
今回も rational fool の好奇心を発揮して調査してみました。

当時の朝日新聞によりますと、完成したのは、やはり私の花の浪人時代であった昭和42年12月14日、高さ110mのアルミニウム特殊鋼製の円柱(直径2.5m)のまわりにあるドーナツ型のエレベーターと展望台も兼ねた展望室が円柱を軸に自転しながら上昇する世界でも珍しい展望塔であったそうです。
ただし、建設途上から「近代的過ぎて寺の美観とそぐわない」と浅草寺側から反対の声が上がるなど、多難なスタートだったとされております。そして、わずかオープン5年後の石油ショック真っ最中の昭和48年には、早くも廃業しております。これでは私が乗るタイミングを失してしまったのもうなづけます。

s-DSC00677 問題は、このスペースタワーのあった場所なのですが、浅草寺の裏手の広場の片隅、現在歌舞伎発祥にちなんで、明治時代に劇聖と謳われた9代目市川団十郎歌舞伎十八番「暫」の銅像があるところだったと思われます。

ところで、浅草というところは、どういうわけかこの類の塔が、昔からとっても好きな土地柄のようです。
942年の創建以来、何度も消失しては再建されてきた浅草寺五重塔はもとよりといたしまして、
かつては、通称十二階と呼ばれた凌雲asakusa_ryounkakuが観光客をひきつける最大のスポットでありました。しかし、この十二階は、関東大震災(1923年)であえなく倒壊しています。
浅草っ子はよっぽどさびしかったんでしょうね、凌雲閣倒壊後わずか9年後の1932年、森下仁丹が東京進出に当たって建てた仁丹塔が出現します。仁丹塔は、1954年の再建で凌雲閣を模した外観となり、浅草名物となりますが、この塔も1986年には解体されてしまいます。
なお、余談ですが、この仁丹塔のまん前の雷おこしで私は学生時代に売り子のアルバイトをして正月を過ごした経験があります。
今、思い返しても、正月の雷おこしの売れ行きの殺人的なすさまじさは、驚くべきものでありました。

高層ビルが林立する現代では想像しにくいのですが、かくのごとく、庶民の町浅草にとって、歴史的に塔のイメージは必須のものであったようであります。
昭和30年代までの下町に住む庶民の暮らしを想像いたしまasakusa_jintanto すと、ようやく取れたたまの休みに浅草に出て、映画を見て、おいしいものを食べて、塔に登ってさえぎるもののない贅沢な視界で下界を見ることが、この上ない娯楽であったのでありましょう。

ちょっと、うらやましいような気もします・・・